| STATEMENT |
過去、現在、未来
1968年春、横浜・日吉にある東京綜合写真専門学校を卒業した。
学生運動が激しい時代の波の中、卒業式はなかったが、卒業証書だけはもらいに行った。
その卒業証書を、写真の道に進むことを強行に反対した田舎の両親に送った。
学校卒業後、進路を決めかねていた私を、出版社を興していた同郷の先輩、
佐藤嘉尚さんがひろってくれた。出版社の名前は『面白半分』、著名な作家が半年交代で、
編集長を務めるという今や伝説となった編集部だった。
出版界が元気で、一番華やかな時代だった。
素敵な作家が沢山いて、とても自由に活躍していた。
1984年秋、日刊ゲンダイ掲載の五木寛之氏のコラム
「流されゆく日々」にカットを!との依頼を突然舞い込んだ。
脳裏を不安も少しかすめたが、それ以上にとても嬉しかった。
風に吹かれているような、さわやかな私の写真を撮ろうと決めた。
写真で自分を表現しよう、写真を生涯の職業にしようと志して、早や五十年になろうとしている。
「面白半分」を辞めて以来、
フリーランスとしてどうにかこうにか生きてこれたこと、その幸運に感謝している。
自分のささやかな努力よりも、友人、知人の励ましや後押しが大きかったと。
今、自分の仕事人生を振り返り
未来に伝えるべき写真について考えている。
石山貴美子
May, 2016
| BIOGRAPHY 〜展覧会と出版について〜 |
石山 貴美子
1989年
初めての写真集『母の小箱』 (文|佐藤 みさお/写真|石山貴美子)を出版。
友人の佐藤みさおさんが、髪結いさんとして生きてきたお母様への感謝の気持ちで作った小さな写真集の出版に際し、
髪結いさんとしてお母様が使われていた道具箱とかんざしや櫛などを撮影させていただいた。
1995年
銀座のアートギャラリー「巷房」で初めての個展『マネキン』を開催する。
1996年
福島県郡山市のギャラリー「觀」にて『マネキン』展が巡回される。
1997年
パリの「シテ・アンテルナショナル・デ・ザール」(Cite Internationale des Arts)で開催されたグループ展『日本人写真家の眼』
(L’Oeil: Des Photographes Japonais)にパリ在住の作家と共に参加する。
1998年
銀座「コンタックスサロン」にてグループ展
1999年
銀座のアートギャラリー「巷房」にて二度目の個展を再び『マネキン』で開催。
2003年
銀座のアートギャラリー「巷房」での三度目の個展『スペインロマネスク紀行』を開催し、
その紀行文が「日刊ゲンダイ」に掲載される。
2005年
集英社新書ヴィジュアル版『江戸を歩く』(共著:文|田中優子/写真|石山貴美子)が出版される。
東京のさまざまな界隈を江戸の面影をもとめて、一年をかけて撮り歩いた。
新宿書房より写真集「石山貴美子写真帖」が出版される。
「日刊ゲンダイ」五木寛之氏によるロングラン・コラム“流されゆく日々”のカット写真1,112枚が収録された。
写真集出版と同時に銀座ギャラリー「巷房」にて4度目の個展『流されゆく日々』を開催。
2006年
ベルリンのギャラリー「OKO」で『マネキン』の個展が開催に続き、
東京・台場の「Gallery 21」で集大成となる個展『Les Mannequins 2006』が開催される。
2011年
台場「Gallery 21」でのグループ展『空 KUU Beyond the border』に参加。
2014年
清流出版より『鄙への想い-日本の原風景、そのなりたちと行く末』(共著:文|田中優子/写真|石山貴美子)が出版される。
法政大学の総長となられた田中優子先生とのコラボレーション。「鄙」とは、「都市部」から離れた「いなか」のこと。
「鄙」と「都」の構図から見えてくるものとは?江戸の価値観を通して、現代社会が抱える矛盾に迫る仕事となった。
KIMIKO ISHIYAMA